僕にとってのライバル

  • 更新 | 2020.02.27 公開

ももてぃぶ

この想いは恋に近い存在だったかもしれない。
冷静な今だからこそ、そう思える。

時には愛おしく、時には苛立ちを隠せなかった。

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僕は小さい頃から「何かを作る」のが好きでした。とくに作り方も見ず、マニュアルは無かったことにして、自分の好きなように色々作る。
家族にシラス入りの味噌汁を作ったら、大不評だったな…(笑)

そもそも、すでに存在しているやり方を、そのまま実行するのが好きじゃなくて、やり方は自分で学んで覚える派。この精神は社会人になっても変わらない、僕の仕事のスタンス。よく失敗するけど、自分で学び得た知識でないと、自由に使いこなせない。

誰かに操作されているような感覚が好きじゃないのかもしれません。

「何かを作る」ことが好きだった少年は、無事に大人になったけど、特にやりたい事もなく、ただただ繰り返す毎日を消費してた。

大学を卒業して就職もしたけど、正直言ってやりたい事がなかったため、単純に面白そうだな。なんか人がいっぱいいるな。っていう理由で地元近くのコールセンターの社員となった。

ちょっと首を回せば室内全部がすぐ見渡せる、小さな小さな営業所。

女子高生がキャッキャしている横で、年配のおば様たちが井戸端会議をしている。
ホストみたいな長髪金髪鼻ピアスの青年がSV(スーパーバイザー)をしている。

取り柄もなく、自分に何ができるのか、自分は何をしたいのかも分からな僕にとっては、まるで動物園のようなこの職場が、凄く好きでした。

毎日みんなが電話をしている横で、僕が何をしていたかというと…
誰よりも早く出社をして電話・トイレ・床の掃除、業務に関してはお客様へ渡す資料作りや契約周りの書類処理など、サポート的な仕事。

掃除に関しては誰に何かを言われてやっていたことではなく、一番最初の仕事の先輩である父親が「朝一でみんなのデスクを掃除している」という話を聞いていたので、そういうものなのかと思ってやっていた。誰にお礼を言われるでもなく、ずっと続けてたけど、やっぱり朝一で掃除をするのって気持ちがいいもんだ。

電話をする会社なのに、ほとんど電話をしない社員がいるのもめずらしかったと思うけど、僕自身の性格や特性に合わせて、当時の上司が好きなようにさせてくれたおかげで、今でも思い出に残るような新卒時代を過ごせた。
(本当----に今でも感謝してますよ。)

楽しく過ごしていたそんな時、ホストみたいな長髪金髪鼻ピアスの子にイラストレーターという存在を教えてもらった瞬間から、僕の転機が訪れた。

「何かを作る」ことが好きだった、将来の夢はパン屋さんだった僕が、イラストレーターという存在を知った瞬間、眠っていた感情が突然大きく動き出した。

小学生の時、休憩時間ごと外にでて120%の全力で駆け回っていた頃のような。
初めて自分が恋をしているのを実感した時のむず痒さ、恥ずかしさのような。

自分にもわけが分からない、説明がつかないような感情がすごく溢れ出てきて、この道で進みたい気持ちばかりが先行して、気づいたら退職を伝えていた。

作ることが好きだったのであれば、イラストレーターという情報はどこかしらで入っていたはずなのだけど、記憶の片隅にも残っておらず「初めましてコンニチワ」の状態。
やっぱり意識していないものは、記憶にも残らないんだな…。

そして、そのまま円満退社。

ニートという立場をフル活用しての独学と数か月のスクール通いを得て、webデザイン関連の会社へバイトとして潜り込む。

結果から言うと、まったく仕事で使いものにならず、2週間でクビという経験を初めてしました。

高校生の時、体育館のトイレでスリッパがなくて、靴で入ったことを怒られ、部活の先生におもいっきしビンタをされた時と同じくらいの衝撃。
……親にもぶたれたことなかったのに。

やりたいと思っていた仕事を掴んだ気がしていましたが、自分の不甲斐なさによって、その手を放してしまった。ほんと、人生って山あり谷ありですね。

それからも独学を続けて、次はなんとか大手のアウトシーシング系の社員となり、アプリのチェッカーとして1年過ごしたけど、もっとデザインを、作ることをしたいと思い、ベンチャー企業へ移籍。

web制作関連のベンチャー企業に入ってからが、この記事のタイトルでつけた「ライバル」のお話です。

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ライバル。

同期だったり、一緒に働いているメンバーのことをそう呼ぶ事が多いと思いますが、僕の場合も勝手にライバルだと思っていた人がいました。

中途で入ったけど、僕のあとすぐに入ってきた、6.7年エディトリアルデザインの会社に勤めていたTさん。

彼は初日から青白い顔をさせて、顔面蒼白冷や汗ダラダラ体フラフラ状態。
そのまますぐに病院に行ってもらったら尿路結石のようだった。

今でも、こんなに初日から、みんなの心を掴む入社があるんだろうかと思えるほど、掴みはOKの状態で入ってきた彼は、持ち前のデザイン知識、そしてデザインに掛ける圧倒的な情熱でスキルを高めていった。

僕も望んでやっと手に入れたデザインができる仕事。
朝6時に出社して23時ごろに帰るような生活を2~3年は続けていたと思う。

モチベーションも高い状態で維持でき、いくら時間がかかろうと苦にならず、何より楽しくてしかたがなかった。そもそも自分には、業務で使えるスキルなんて、ほぼ持っていない状態だったので、人の2倍3倍はやらないと追い抜けない。そんな焦りもあったからかもしれません。

何より、勝手にライバル認定させてもらったTさんに負けたくなかった。

「何かを作る」という想いだけで突き進んできたけど、デザインをすることに少しだけ慣れ、思考できる時間が増えてきたころ、「ほんとうにこれでよかったの?作れた後はどうしたいの?」こんな想いが湧き水のように最初はチョロチョロと。しかし、時間が経つにつれて、それが滝のような勢いで出てきた。

そんな思いを見透かされたのか「最近〇〇ちゃんって、本気でデザインしてないよね。」とTさんに言われてしまった…。

ライバルとして見させてもらっていたTさんに、自分の心の内を見透かされたのと、もっと作り手として能力は伸ばしたい、だけどその気持ちが湧かない。

葛藤のような、ただの逃げのような、自分でわからない感情にずっと支配される時間が多くなることに比例して、Tさんを無意識に避けるようになっていた。

いや、無意識じゃなくて、自分が恥ずかしくて情けなくて、意識的に避けるようになったんだ。

ちょっと前までは、朝まで一緒に飲んでいたり、女の子のお店にも行ったりしたのに、すっかり疎遠になってしまった。

会社という場、誰もが他人で、単に仕事のため集まっただけに過ぎない相手に対して、本気でぶつかってきてくれる人がいるのは、すごく幸せなこと。

だけど僕は、自分でその幸せな環境から逃げてしまった。
自ら手を離してしまった。

その後、僕は何をしたかというと、デザインから離れ、サービス運営に特化していった。

初めてのライティングに始まり、SEO、サービスフローの策定、現場管理など、チームで動くこと、サービスを『0→1』から作り上げて『1→10』を目指すことに時間を費やす。

Tさんがせっかく教えてくれた大切なことを見ようとせず、それを振り払うかのように毎日毎日サービスのことを考えた。

おかげで、1年後には単月黒字、3年目には会社の事業の中でも一番高粗利のサービスとすることができたが、その間にTさんは別の会社へ転職をしてしまった。

いつか謝ろう。

ちゃんとお礼を伝えなきゃ。

悠長なことをしていたら、Tさんの最終出社日も来てしまい、結局言えなかった。

もっと素直になれればよかったのに。
なんでこんな簡単なことが言えないのか。

「できない理由」はすぐ思いつくのに、「できるための理由」は全然現れてくれない。

自分のちっぽけなプライドが邪魔をしていた、と言えば簡単だけど、これが僕の弱さなんだと気づいたキッカケにもなった。

勝手にライバル認定させてもらっていたが、本気でぶつかってきてくれたってことは、Tさんも少しはライバル意識を持っていてくれたのかもしれない。

この経験から、相手の状況を理解し、相手の次の行動を促す発言ができ、それを真摯に受け止め合える存在が『ライバル』という存在なのかなと感じている。

上記の定義からすると、僕はTさんのライバルとしては役不足だったに違いない。

あなたにとってのライバルは誰ですか?
その大切な存在、決して自分勝手に手を離さないように。

これは僕の教訓から、自信を持って言える事の一つになりました。